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上図は米国科学アカデミー(NAS)、米国工学アカデミー(NAE)および米国医学アカデミー(IOM)が1995年に共同出版した「On Being a Scientist」の表紙です。内容は、科学の意義および科学者・研究者はかくあるべきという項目で構成されており、伝統的に各個人に任せていた、科学者が持つべき倫理と責任の規律を、公式に説明し指南することを目的に初版が1989年に発行されました。米国の技術者の倫理観の基礎になっているルールブックと言えるでしょう。

尚、今現在は不明ですが、コーネル大学アニマルサイエンス学科では15年ほど前に、ホメオレシス理論とCLA・乳脂肪研究で著名なDale Bauman教授が、全大学院生を集めて「On Being a Scientist」を全員に配り、レクチャーする形で倫理観を説いていました。あのBauman先生が仰るのだから、という雰囲気で皆が耳を傾けていたのを覚えています。

そのレクチャーで特に強調していたのは「不正行為」に関してです。日本はルールブックもなく(或いは知られておらず)あらゆる分野で「研究倫理」の啓蒙が遅れており、巷では倫理を意識しない情報発信が溢れている感を受けます。「On Being a Scientist」を参照しながら研究倫理における不正行為、利益相反、および科学の意義と理念を以下に記述します。

  • ​不正行為

「On Being a Scientist」では以下の3つを不正行為として挙げています。不正行為は科学が拠って立つ価値の核心(the heart of the values)を損ね、その及ぼす影響は甚大(too extreme)であると、本書の中でも特に強い表現で記述されています。

  1. ​捏造(fabrication):元々存在しないデータを作り出す、ありもしない情報を発表する、など。

  2. 改ざん(falsification):得られたデータを都合の良いように変更する、都合の良いように解釈して報告する、など。

  3. 盗用(plagiarism):他者のアイデア、言葉・文、データをクレジット記載なく使用するなど。

計算ミスや不注意などの怠慢による間違いは、関係者のチェック機能が働いて内部での修正が可能であることに対して、不正行為は内部修正が効かない場合が多く、その影響範囲は、例えば間違った結果や情報が社会に広がるという意味から、個々人にのみならず、行政、立法、司法の各機関、情報伝達機関といった広範囲に亘るとされます。

 

  • 利益相反(conflicts of interest)

​​利益相反は研究者や技術者のプロフェッショナルな判断に影響を及ぼすとされます。例として以下が挙げられています:

​​例1:資金援助を受けている会社の、業績に影響を与えるような好ましくない研究結果を公開・発表するかしないか判断する場合。

例2:査読者として一つの論文を評価する際、未発表の自らの研究成果に相似しているか、その成果よりも優れた結果を得ていることが判明し、その上で論文の公開を認めるか認めないかを考える場合。

利益相反への対応策としては、情報を提供する者がどのような利益相反関係があるのかを公開すること、または事前に関係者に報告することが挙げられます。利益相反関係は隠すことが問題で、公にすることで発表内容や判断の公平性または正当性は、担保できると個人的には考えています。

  • 科学の意義と理念

不正行為、利益相反といった問題は、科学者や研究者だけの問題では無く、今は個人の時代と言われるように、誰でも情報発信できる環境となっている社会全体が、意識して対応すべき課題とも言えます。どの分野や業界においても、オリジナリティへの評価や認証がなければ、独創性は育たず、多様性を謳うことは欺瞞となり得るでしょう。

また酪農は高度な技術に支えられ、その技術は科学が生み出して来ているという事実があります。酪農科学の研究者のみならず、酪農業界に関わる個人個人が、科学の意義や、国際的に通ずるルール・拠り所は何でありどのようなものかを理解しておけば、日本の酪農は科学レベルという観点からも評価されるでしょう。

「People are weak; and most of us are pitifully weak (人は弱く、我々の殆どは悲しいほど弱い)」(Drucker, P, 2012. Management. Routledge)と言われますが、ルールまたは拠り所を知っておくことで、弱さによって生じる望ましくない結果を、未然に防げられる可能性があります。

以下に科学の意義と理念に関連した記述を「On Being a Scientist」から抜粋しました。これらの記述はその意義と理念を理解する一助となるでしょう。

  • 研究(という活動・行為)の目的は、今現在分かっていることに加えて、人類の知識を広げることである。

  • 科学結果は本質的に「暫定的」であり、自然界の現象を、完全な正確さを以て、疑いの余地なく、結論付けられることはあり得ない。

  • 個人の知識は、その有効性・妥当性が独立して判断されたときのみ、科学的な知識となり得る。

  • 独立して受けいれられた科学結果は、統計有意、バイアスの無い手法、および手法の再現性の確認を経ることで、初めて「科学的同意」を得られ、同意が増えた結果、「一般的な知識」となる。

  • 科学は個人の経験とイコールではない。科学は共通理解に基づいた共有知識である。

  • 慣習として第一発見者ではなく、第一発表者にクレジットが付与される。しかし発見が一般知識となるまでは、発見者を引用して認識(クレジット付与)する義務が、その発見を利用する者にある。

  • 過ちを起こさない研究者は無く、ミスや間違いを犯したのであれば公開すべきである。そうすることで、過ちを起こした研究者が批判されることは稀である。

最後に、「On Being a Scientist」が最終章に載せている文を紹介します:

『科学が日々の生活により密接に関わるようになって、研究活動そのものも変化してきている。しかしながら、研究活動がベースとする、以下の中心となる価値は不変である:正直さ、疑いを持つこと、公正さ、協調性、そして開放性。それらの価値が、前例のない創造を生み出す助けとなってきたし、それらの価値が強固である限り、科学と、それが仕える社会が、繁栄していくであろう。』

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